いすゞ・ジェミニ
ジェミニ("Gemini"、"GEMINI")は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた小型乗用車である。1993年からはOEM供給による販売となっていた。
1974年の初代「PF型」は、提携先のGMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づき、オペル・カデット()をベースに開発された。この当時、世界各国でカデットをベースに開発された姉妹車たちが生産されていた。
2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録した。
しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。以後のいすゞ全体の業績悪化と販売不振により、4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けたが、いすゞの乗用車販売縮小に伴い5代目で販売を打ち切った。
1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1.6 Lガソリン車がPF50型、1977年に登場した1.8 Lガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1.8 Lディーゼル車がPFD60型となっている。
いすゞではこの時期まで、基本設計が10年以上前に遡り、陳腐化したベレットの生産が続いていた。GMが引き続きベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、GMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づきオペル・カデット(GM「Tカー」)をベースに新型車を開発する事が決定した。
「Tカー」はオペル・カデットのほか、
など世界中で姉妹車が生産されていた。オーストラリアのGM系メーカーであるホールデンは「ホールデン・ジェミナイ("Gemini"のオーストラリア英語発音)」として日本からいすゞ製ジェミニを輸入した。
車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。ベレットの後継車としての位置を明確とするため1975年までは「ベレットジェミニ」と名乗っていた。
ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1.6 LシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインで、ドアまわりは当時としては珍しく丸みを帯びているのが特徴である。
先代モデルたるベレットは基本設計の古さもあり、このため、日本の大衆車の代表的車種であるカローラ、サニーの当時(1974年)のモデルよりもエンジン、ボディとも一回り大きく、やや上位クラスにあった。ベースのカデット譲りの堅実な設計に、実績のあるいすゞ製エンジンを組み合わせたスペックは一定の商品性があり、ジェミニはすぐにいすゞの主力車種となった。
同じいすゞ製乗用車でも上級車種フローリアンとは明確な差があったが、1977年、ジェミニに1.8 Lエンジン搭載モデルが追加され、クラス的にオーバーラップするようになった。しかしこの頃には、旧弊化したフローリアンを購入する一般ユーザーはほとんどおらず、両車のスタイル、性格の差もあり、元々不人気車種になっていたフローリアンの販売に特に影響は無かったようである。
ヘッドランプは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ独自のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドランプもスポーティー系グレードに限り丸目2灯に戻った。1981年に異型角目2灯に変更される。
1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1.8 L DOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も大文字&小文字の「Gemini」から大文字の「GEMINI」と変更されている。「ZZ」シリーズには「ZZ/L」や「ZZ/T」なども存在したが、極めてハードなサスペンションセッティングが施された走りに特化した限定車として、1981年に「ZZ/R」というスポーツモデルも追加された。
このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。
もっともその後は、従前のいすゞ乗用車の多くと同じく、1980年代に入っても基本設計の変わらないままにフェイスリフトやマイナーチェンジを施されての長期生産が続くことになった。
その後1985年にのちの2代目となる「FFジェミニ」が登場したものの、当初は1.5 Lガソリンエンジンのみでグレード展開も小規模であったため、ディーゼルエンジン搭載モデルを中心に初代ジェミニも継続生産され、FFと併売された。バリエーションは整理され、クーペは廃止されたものの、スポーツモデル「ZZ/R」や1.6 L、1.8 Lのガソリン (SOHC) エンジン搭載モデルも残された。その後2代目ジェミニのバリエーションが充実したのを受け、発売13年目の1987年2月に生産終了、2代目ジェミニの1.6 L DOHC車が追加される直前の1988年2月を以って販売終了となった。
初代ジェミニの総生産台数は768,537台(いすゞHPより)。
駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1.6 L SOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1.8 L SOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1.8 L DOHCエンジンと1.8 Lディーゼルエンジンが追加された。
組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT、1976年に5速MTが追加された。
サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式リジッドで、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。
2代目は1985年5月、「FFジェミニ」(以下この項にて「FF」)として発売された。型式名は1985年に登場した1.5 Lガソリン車がJT150型、1988年に登場した1.6 L DOHCガソリン車がJT190型。そして1.5 Lディーゼルと1.5 Lディーゼルターボ車はJT600型。燃費は10モードで13.8 - 16.0 km/L。
初代のベースとなったオペル・カデットは1979年にフルモデルチェンジし、前輪駆動化されたが、FFはそれとは直接関係なく、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが独自開発したものである。だが、一方では、GMの世界戦略に組み込まれ「Rカー」として1984年11月よりGM向けに供給(輸出)もされた。駆動方式は前輪駆動を採用。初代ジェミニは大衆車クラスのやや上に位置していたが、FFはボディ・エンジンとも小型化し、大衆車クラスに位置することとなった。
117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のCセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつてベレット後継車の構想時にも検討されていた。そして、一般的なテストコースだけでなく、一般道を中心とした走り込みを敢行し、走りを磨き込んだ。それ故、正式発表前に、自動車雑誌にデモンストレーション同然にスクープ写真が掲載された。
ボディデザインは、117クーペやピアッツァなどでいすゞとの関係が深かったジウジアーロが手掛けた。しかし、フロント部のいすゞ社内によるリデザインにジウジアーロが難色を示したため、発表時には彼のデザインであることは伏せられた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。
1986年には専用の電子制御式ターボ付き1.5 Lの2バルブSOHCガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングしたスポーツモデルの「1.5 イルムシャー」が登場している。
FFは大衆車クラスに変更された関係で当初は販売面が憂慮されたが、後述するテレビCMが大きな反響を呼んだことと、カラーバリエーションが豊富なことで人気を集めた。
1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドランプを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。
また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化のためについていた「FF」という冠が取れ、単に「ジェミニ」(以下「2代目」)となった。
1988年 には、1.6 Lの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した「1.6 イルムシャー」も追加される。
「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
そして1989年2月に2度目のマイナーチェンジ。サイドマーカー(ターンシグナルレンズ)の位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみリヤナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている。
2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより))、米国販売数はいすゞ名義で150,873台、GM名義で363,171台(Ward's Automotive Yearbookより)。
グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」とビジネスユースに徹した3ドア「D/D」の実質3種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」を追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルである「G/G」が追加された。
他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」(中期のみ)、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。
基本的なコンセプトは、当時いすゞが生産していたアスカと共通しており、それをサイズダウンしたもの。
エンジンは1.5 L SOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1.6 L DOHCの4XE1型、1.5 Lディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピュータ制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデルが登場した。
サスペンションは前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイル(トーションビーム)を採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。
ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。
3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大された。燃費は10モードで13.6 - 14.8 km/L。
形式名は、1,500 cc ガソリン車がJT151F型、1,600 cc DOHCガソリン車がJT191F型、1,600 cc DOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1,700 cc ディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。
これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。
デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。
セダンは北米市場において「いすゞ・スタイラス (STYLUS)」の名称で1990年12月より販売が開始された。
また、派生車種として、米GM社のGEOブランド向けに、フロントフェイスが異なる2ドアクーペ「ジオ・ストーム(日本ではヤナセで販売されていたPAネロと同デザイン)が販売されていた。いすゞ・ジェミニクーペ、ハッチバックはこの「ジオ・ストーム」をフェイスリフトしたモデルとなっている。またストームはその後、2代目ピアッツァのベースになっている。
3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが使われたラリーフィールドを意識した設計が施されている。1,500 cc ガソリン車の動力性能は著しく向上し、「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1,600 ccクラス車としては車重は重い部類に入る。
足回りでは「ニシボリック・サスペンション」の採用が挙げられる。多くの評論家が酷評したニシボリック・サスペンションであったが、国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"という好評もあった。1991-92年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。
デザインは中村史郎を中心に(チーフデザイナー本多卓夫、セダンエクステリア中村史郎、クーペエクステリア前田克紀、中村がブラッセル駐在となった為セダンも前田が引継ぐ)いすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。4ドアセダンにはリアのドアフレームがCピラーを覆い隠すように閉じるなど、他に例を見ない斬新なデザイン手法も使われていた。
販売面では、フルモデルチェンジ後、旧型モデルからの買い替えが順調に進んだことやCM効果によって、日本国内月販目標5千台に対し1990年4月21日時点における受注台数が6,602台と目標を超えて達成したものの販売可能台数が4,300台と品不足状態になったり、重視した米国市場で月間販売台数が一万台を超える販売好調状態であるなど、新車効果が大きく作用した出足であったが長くは続かず、バブル景気の終焉もあいまって、1991年4月には「乗用車販売の不振に苦しむいすゞ」と伝えられるなど、世界的な自動車不況などの影響によってジェミニは極度の販売不振に陥った。
この事実は1991年10月期決算におけるいすゞの大幅な経常赤字の要因となっており、次期ジェミニの開発延期を決定するなどの再建計画を実施したが、1992年10月期決算においても再び大幅な経常赤字を記録したことによって、資金回収の目処が立たない乗用車生産から撤退し得意分野の商用車事業とSUVに経営資源を集中化させる等の内容が1992年度中期経営計画にて決定したことに伴い、ジェミニの自社生産も1993年7月限りで終了し、日本国内では翌月までに販売終了となった。
3代目の総生産台数は 406,625台(いすゞHPより)、米国販売数は17,754台(Ward's Automotive Yearbookより)。
駆動方式は前輪駆動だが、イルムシャーR仕様と一部のターボディーゼル車については4WDを採用している。
また、イルムシャーRの4WDにはLSDが組み込まれ、前後トルク配分可変機構が備わっている。
エンジンは1,500 cc SOHC 12バルブの4XC1型、1,600 cc DOHC 16バルブの4XE1型、同インタークーラーターボ付の4XE1-T型、1,700 cc ディーゼルインタークーラーターボ付の4EE1-T型の5種類が搭載された。
特に、4XE1インタークーラー付きターボ仕様 (180 PS) は、ホンダ・シビックタイプRのB16Bエンジン (185 PS) が登場するまで1,600 ccクラス最強のエンジンであった。
組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。
サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪にはパラレルリンク・ロアアームのストラット形式をベースにナチュラル4WSと称したトーコントロール機構の一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。
ステアリングはパワーステアリング付ラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車はこのクラスではめずらしく全グレード前後輪ともディスクブレーキとなっている。
そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
1993年8月30日発表、同年9月3日発売。
いすゞ自動車が乗用車の自社生産から撤退し、4代目以降はホンダから供給されるドマーニのOEMモデルとなった。なお、ドマーニに設定されていた1,800 cc・DOHCエンジンは供給されず、1,500 cc・SOHCと1,600 cc・SOHCの2本立てとなる。先代よりラインナップが縮小され、ボディタイプは4ドアセダンのみとなり、ジェミニの売りだったホットモデル(イルムシャー/ハンドリング・バイ・ロータス)やディーゼル車は廃止された。
不評だった3代目と比較して「デザインは先代よりもジェミニらしい」「運転ポジションが悪かった先代より前が見やすい」という意見もあった。
販売先は、ほとんどがいすゞ固定客の業務用車の代替などであり、一般ユーザー向けの広告展開は殆どされず、更にはこの頃にはミニバンやステーションワゴンが全盛となっており、セダン型車の人気が著しく低下していたこともあり、このモデル以降、地味な存在の車となった。だがドマーニ自体も兄弟車であるシビックフェリオの影に隠れたモデルであったため、OEM車両としてはそこそこ売れた口でもある。
型式名はE-MJ1とE-MJ2の2種類。
グレードは「1600G/G」、「1600C/C」、「1600C/C 4WD」。
「H」マーク、「VTEC」等が入るエンジンヘッドカバーも含め、仕様はドマーニと殆ど同じだが、若干の違いがあった。ドマーニの「1600Ri」「1600Ri-F」は175/70R13が標準だったが、ジェミニの「1600C/C」「1600C/C 4WD」は175/65R14が標準とされた等。
ボディカラーはフロストホワイト、ボーグシルバー・メタリック、ハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールの4色。
ボディカラーはハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールが廃止され、ファントムグレー・パール、サイプレスグリーン・パール、ダークアメジスト・パールを設定、等。
前後ウインカーの色がアンバーであることや、フロントグリルの形状は、ドマーニよりもカナダで製造・販売されていたアキュラ・EL(初代)の前期型に近い外観である。
ジェミニを語る上で欠かせないのが、2代目におけるカースタントを使ったCMである。映画「007シリーズ」のカースタントで名を知られ、当時世界最高レベルのカースタント技術を持つレミー・ジュリアンが監修を務め、キャッチコピーである「街の遊撃手」を視覚表現した、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが大きな反響を呼んだ。広告代理店はマッキャンエリクソン博報堂。
これらの映像には合成やCGを一切使っていないことで有名だが、撮影用の車体には細工を施している場合がある。2台並んでのドリフト走行、または4台でぴったりと息の合った同じ動きをしているシーンが挿入されているCMシリーズは、ほぼ全てにおいて相互の車体の下部をジョイントで繋いでいる。当時、CM撮影に携わったスタッフはジョイント部分が見えないように、カメラアングルひとつにも綿密な計算をし膨大な時間を費やしたという。それでもどうしてもジョイント部分が映ってしまうシーンがあり、この場合は『ISUZU GEMINI』の文字で見えない様にするといった手段が使われた。なお、実車は世界各国で同様のCMを流すために左ハンドル(輸出仕様)車で使用した。日本国内及び東南アジアエリアではいすゞジェミニとして。一方の中南米エリアではシボレー・ジェミニ(CHEVORET GEMINI)として放映していた。
2台並んだ車が別々に分かれたり違う動きをするシーンでは、別撮りしたジョイントで繋がっていないシーンと繋がっているシーンを組み合わせてひとつのCMを作っている。CMのメイキング映像では川を飛び越えるシーンや車2台が橋の上で交互にジャンプを繰り返すシーン、また片輪走行で階段を下っているシーンが有名だが、そちらは車体に一切の細工をしていない。
そのため、これらのCMメイキング映像では車体に細工をしていなかったことと、映像に加工をしていないことで有名だったため、全てが本物の車の挙動だと思い込んでいる人も多かったという。
2017年に開業したいすゞプラザ内のジオラマ「いすゞミニチュアワールド」では公園内を走行するジェミニのスタントが再現されている。
英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。
ちなみにGM「Tカー」オペル・カデット(後輪駆動モデル)をベースにした車種は、アジア・オセアニア地域においては、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在の韓国GM)、豪・ホールデンでも販売された。