トヨタ・ランドクルーザー
ランドクルーザー(LAND CRUISER、Toyota Land Cruiser)は、トヨタ自動車が製造・販売する大型クロスカントリー車である。日本では「ランクル」の愛称が広く通用する。
世界的に著名なクロスカントリー車であり、その耐久性は世界中で高い評価を受けている。「ランドクルーザー」という車名は1954年6月より使用されており、現在新車として販売されている車種(2020年6月時点)且つ、一つの車名で継続生産されている日本製の自動車の商標としては65年を超える最も長い歴史を持つ。
生産当初は幌モデルのみでスタートしたが、現在は、4ドアの大柄な車体と先進および高級装備を持つ「ステーションワゴン」、主に業務用途向けとして多彩な車種を展開する「70ヘビー系」(ヘビーデューティ)、そして、「70ライト系」(ライトデューティ、日本国内での車名はランドクルーザーワゴン) から発展した「ランドクルーザー プラド」という、車格も仕様も異にする三系列が並行して生産・販売されている。
現在のステーションワゴン系の車種は、レクサスLX570の姉妹車でもあるV型8気筒エンジンを搭載したランドクルーザー200であり、欧州など、仕向け地によっては車名がランドクルーザー V8 となる(100系の欧州名はアマゾン = Amazon)。
現在のヘビー系の車種は70系である。長大な車体を持つ78と79を中心に世界各国に向けて輸出が続けられている。国内国内向けでは貨物登録(1、4ナンバー)のディーゼル車であったため自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法およびPM規制条例により、2004年(平成16年)7月に販売を終了していた。
復活を望むファンの強い要望に応え、70系誕生30周年を記念して2015年(平成27年)6月30日生産分までの期間限定で約10年ぶりに発売された。
ランドクルーザー プラドについては当該記事を参照。
2012年までのランドクルーザーシリーズの総合生産台数は約729万1000台となっている
2019年9月20日に、ランドクルーザー プラドやレクサスブランドで発売されているLX及びGXを含めたシリーズのグローバル累計販売台数が同年8月末時点で1,001.5万台となり、BJ型の発売開始から68年で1000万台を突破したことが発表された。
戦時中、トヨタによって少数が生産された日本陸軍・四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際軍部から、敵方との識別のため「外観はジープに似せない事」とする旨の指示があった。機能がそのまま外観に表れるジープを模倣する上でそれは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、木材なども用いた簡易な外装に一つ目ランプという、いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。
「AK10型」のサスペンションは4輪リーフリジッドであるが、リアが一般的な半楕円リーフスプリングをシャックルで吊る方式であるのに対し、フロントは1/4楕円のカンチレバーリーフスプリングを用いたリーディング・アーム式となっており、の初代C型エンジン(水冷直列4気筒 2,585 cc)と3速T/M、2速T/Fを組み合わせており、機構的にBJ型以降のランドクルーザーとは直接のつながりはない。しかし、AK10型の試作により設計主任の森本真佐男技師をはじめ、トヨタの技術者が得られた経験値は大きく、AK10型の残存部品はBJ型の開発の際にも大いに役立ったとされている。
また、トヨタはをベースに四輪駆動としたKCY型四輪駆動トラックとKCY型をベースとした水陸両用トラックの陸軍・スキ型4輪駆動水陸両用車(1943年〈昭和18年〉から198台生産)でも四輪駆動(総輪駆動)車を手がけた経験があり、AK10型とは異なりトラックが母体となったこれらの構成はBJ型に通ずるものがあり、トヨタ自身もスキ車やKCY型のシャーシ構成がBJ型やランドクルーザーの直接の基礎となったと記述している。
1960年(昭和35年)1月発売開始。20系をフルモデルチェンジして登場。すでに20系が30番台の数字を使っていたため、型式は40とされた。
1984年(昭和59年)11月に70系にフルモデルチェンジされるまで24年にわたり販売され続け、超ロングセラーモデルとなった。北米においても、1960年代前半まではトヨタの最量販車種であった。
そのため、世界各国で業務用として今なお現役のものも多く、また、趣味の世界でも、「ヨンマル」、「フォーティー」などの愛称で親しまれ、多くの愛好家に大切にされている。
また現在でも根強い支持を受け、ランドクルーザープラドをベースに誕生したFJクルーザーのデザインモチーフともなった。
2017年(平成29年)11月、「2017日本自動車殿堂 歴史遺産車」の1台に選ばれた
乗用車ムードあふれるユニークなボディースタイル、クロスカントリー車という特異な車であるにもかかわらず、乗用車を上回る安全性。
高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。
北米市場を強く意識したモデルでランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。
北米でムース(ヘラジカ)とあだ名されることとなったフロントまわりや大きくへこんだスライド式(電動昇降式)のリアウインドウなどそれまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。しかし現場経験の無い若手が担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後もライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。
北米の保安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた(その後40系と共通の小ぶりのものに変更)。
パワートレインは40系と全く同じで、125馬力のF型ガソリンエンジンと、オフセット式の2速トランスファーに、コラムシフトの3速M/Tが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速又は4速M/Tが選べた。ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。3速M/Tは1速とリバースがノンシンクロであった。その後、1969年にエンジン出力が130馬力に向上した。
北米以外の仕向け地についても、トヨタは55型にディーゼルエンジンを最後まで与えなかった。その点にこのモデルのポジショニングが良く表れている。より実用的なモデルが必要な仕向け地には、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45(1967年〜1980年 二代目FJ45と同じ、ホイールベース2,950mmで2ドアのモデル)の各タイプが用意され、それを補っていた。
当初の予定どおり、生産台数のほとんどが北米をはじめとする日本国外へ輸出された。国内では業務用として多くの納入実績を誇ったが、高価であったこと、小型車枠を超えていたこと、ディーゼルエンジンがなかったことがネックであったと言われ、個人向けの販売は振るわなかった。
50「系」の開発計画は当初、ショートホイールベースの2ドアハードトップとロングホイールベースの4ドアステーション・ワゴンの二本立てであり、その時点では名実ともに50「系」であった。2ドアモデルは1/10クレイモデルによるスタイリング検討まで行われており、このモデルが生産されていれば、FJ50型を名乗るはずであった。しかし、北米での販売が好調であったFJ40とのバッティングの可能性、販売価格、荒川車体の生産能力などを考慮した結果、2ドアモデルの計画は中止されることになった。現在50番台の55、56型が50「系」ではなく、「型」と呼ばれる理由はここにある。
ちなみに50「系」はブラジル・トヨタが生産する、ランドクルーザーのノックダウンから発展した「バンデランテ(Toyota Bandeirante)OJ、BJ50系(1954年〜2001年11月)が名乗っている。
この区別はランクルに詳しい者以外にとっては非常に分かりづらいため、一般的には55、56「型」をまとめて50「系」、OJ、BJ50系は「バンデランテ」と車名で呼ばれることが多い。
1980年8月、ステーションワゴン、55型の後継車種として登場。ランクル40系から脱却、独立して本格ステーションワゴンを目指したモデルである。フロントの独立フェンダーを廃止することで先代のイメージは完全に払拭され、当時北米で人気だったステーションワゴン然としたスタイルに生まれ変わった。このボディーの基本デザインはこの後も大きく変わらず、クロームメッキバンパーやリアゲートに上下開きタイプが追加されたり、ドアミラーの採用やハイルーフ仕様の設定、サイドステップやオーバーフェンダーの設定など、時代に合わせた装備の追加、変更が数多く行われた。
デビュー当初から前期の60系に設定されていたボディカラーは、ホワイト、フリーボーンレッド、トラディショナル・ベージュ、フィールライクブルーの4色。HJ60Vなどにハイルーフ仕様が設定された後期型になると、上級グレードにワイルドステージ・トーニング(シルバーと濃紺系メタリックの2トーンカラー)やベージュメタリック(濃いブラウン系メタリック)が加わり、オプションでそれぞれのカラーに合わせたサイドストライプ(塗装ではなくデカールのステッカー)が用意されていた。
拡大されたボディーの恩恵を最大限に利用して居住性の向上が図られ、インテリア面でもそれまでのモデルからラグジュアリー性が高められており、室内カーペットなど乗用車化が進んだ。とりわけ「Gパッケージ」と呼ばれる上級装備オプションの設定や、後期モデルから行われた装備やトリムの違いによるグレード設定も、インテリアの進化を加速させる。また、上級グレード装備やオプション装備の中には、電動アジャスタブルシートや電動ムーンルーフ、フロントシートヒーター、オーバーヘッドコンソールといった豪華装備も用意され、その後の贅沢SUV路線に先鞭を付けた。
ガソリンエンジンは55型から変わらず6気筒・4.2Lの2F型であったが、新たにランクルでは初となる6気筒・4.0Lの2H型(国内は1982年から)と4気筒・3.4Lの3B型の2種のディーゼルエンジンが設定される。ステーションワゴンのラインナップに初めてディーゼルエンジンが加わった。
このモデルは販売から40年近くが経過しているが後継モデル同様に現在でも実働車が数多く、高い人気がある。
売れ筋は圧倒的にトラディショナル・ベージュかホワイトの2色だったが、現在ではオリジナル塗装のボディー色ではない再塗装車も多く見られる。消防車仕様は山間部を中心に配備されており、現在でも見ることができる。
これは新型のV型8気筒(1VD-FTV)ディーゼルエンジン(4,461cc、インタークーラーターボ)を今までの狭いエンジンベイに収めるにあたり、余裕がなかったためと思われる。
ちなみに1984年のデビュー以降、フロントマスクの変更は3度行われているが、ボンネット全体が大きく変更されたのはこれが初めてとなる。
※78、79はライト系(70プラド)セミロングと型式重複している。
ヘビー系は2014年8月25日に"70"シリーズの発売30周年を記念して2015年6月30日生産分までの期間限定で約10年ぶりに復活した。ボディタイプはランドクルーザーらしいフォルムと高い居住性を実現する「バン(GRJ76K型)」に加え、最大600 kgの貨物を積載できる堅牢なデッキスペースを備えた、日本国内でのランクルでは初のダブルキャブ仕様となる「ピックアップ(GRJ79K型)」の2種類を設定した。日本国内で期間限定販売となった理由は、2015年(平成27年)7月26日以降の生産車両に適用される新保安基準に対応できないためである。
エンジンは日本国内向けでは初採用となるV6・4.0Lの1GR-FE型に。軽量・コンパクト設計のアルミ製シリンダーブロック、吸気効率を高めるVVT-i、ACIS(2段階可変吸気システム)を採用することで「平成17年基準排出ガス50%低減レベル(☆☆☆)」認定を取得する環境性能と最高出力170kW(231PS)、最大トルク360N・m(36.7kgf・m)の動力性能を両立。トランスミッションは信頼性と操作性に優れた5速マニュアルを採用するが、2速と3速にトリプルコーンシンクロメッシュを組み込むことで滑らかなシフトワークを実現し、オフロード走行時の素早いシフトチェンジにも対応。駆動方式はトランスファーレバー操作による駆動モード切替が可能なパートタイム4WD(デュアルモードオートマチックロッキングハブ付)を採用。市街地や高速道路での走行には静粛性や燃費性能に優れた2輪駆動で走行し、不整地や雪路、急な坂道などを走行するときには路面状況に応じた2種類の4輪駆動に切り替えることで走破性を高めた。
また、時代の要請に合わせてフロントエクステリアやインテリアはより現代的なデザインとなる。フロントグリルやフードの形状を変更し、グリルに装着のエンブレムはトヨタのCIを用い、ヘッドランプはターンシグナルランプ一体型の異形タイプとなった。インパネはオフロード走行時に車体の姿勢が把握しやすいように水平基調のストレートデザインとすることで機能性を確保。ボディサイド両側に30周年記念の専用エンブレムを装着し、キーボックスや車検証入れは本革仕様とした。併せて、運転席・助手席SRSエアバッグやABSを標準装備している。
30周年記念復活モデルで設定されたボディカラーはバン・ピックアップとも7色で、「ホワイト」「シルバーメタリック」「グレーメタリック」「ダークレッドマイカ」「ブルー」「ベージュ」「ベージュマイカメタリック」が設定された。
尚、ピックアップの新車装着タイヤは一般市販車として採用されることが希少となった鉄リングホイールのチューブ入りタイヤである。
1984年11月、70系のライトデューティー版派生種として登場(日本国内は1985年〈昭和60年〉10月)。
1990年4月、4ドア・セミロングボディーの追加に伴い、「PRADO」(プラド)のサブネームが与えられる。(以降の詳細はトヨタ・ランドクルーザープラドを参照)
ボディサイズが60系よりも一回り大きくなり、メインマーケットの北米やオーストラリア向けに開発されたモデルとなる。80系はそれまでの硬派なクロスカントリーから、内外装の質感向上と装備の充実により、高級スポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)へと性格が変化した最初のモデルであると言える。しかし、従来同様のラダーフレームと前後リジッドアクスルという構成を維持し、さらに、サスペンションスプリングがリーフスプリングを凌ぐ乗り心地と長大なストロークを持つコイルスプリングとなったため、オンロードでの快適性と操縦安定性が大きく向上し、オフロードにおいても十分に高い走破性を持っていた。
80系の後継として誕生した100系は、半世紀にわたり世界の悪路を走ってきたランドクルーザー・ファミリーの中で、極めてタフで実用性の高いクロスカントリー車から、さらにタフネスさを高めつつ高級車の素養をも身につけたプレミアムSUVへと大きな飛躍を遂げたモデルであり、トヨタ自らが「トップ・オブ・SUV」と宣言し、トヨタSUVの最高峰とされた。100系は歴代初のV8ガソリンエンジンが搭載され、先代80系で初採用されたフルタイム4WD方式に電子制御の磨きがかかり、さらに悪路走破性と乗り心地を高次元で融合させたスカイフックTEMSを導入。その上でインテリアに本革のシート&トリムや木目パネルを多用するなど、V8エンジンの静粛性や最新技術と高級装備は発売後から好評で、日本では「オフロード界のセルシオ」と言われることもあった。アメリカ合衆国においては、所有者の世帯収入の中央値が20万ドル(約2,400万円)以上という高級車となった。
80系同様にワゴンとバンの仕様があり、グレードは下からVX、VXリミテッド、VXリミテッド Gセレクション、そして途中追加されたレクサスLX470の国内版のシグナスがある。
日本市場ではレクサス・LXのバッジエンジニアリング車が、「ランドクルーザーシグナス」の名称で発売された。同モデルは4灯ヘッドライト、大径クロームメッキホイールという外観の違いがある。Gセレクション同等の装備に加え、レクサスLX 専用装備となる電動リアクォーターウインドウ、エンジンフードやドア内部の遮音材が追加されている。また、足元灯、ムードランプ(センターコンソール用ダウンライト)、インナードアハンドルランプ、ステップランプなど、照明関係も充実している。
日本国内の一般向けモデルのバックドアは上下開きのみの設定となったが、機動隊の現場指揮官車や、日本道路公団のパトロールカーとして納入されているモデルは、バックドアが左右非対称の観音開きとなっている。
月間販売台数は常に2,000台以上を維持しており、ライバル車の日産サファリ、三菱パジェロを大きく突き放し好調な売り上げを維持していた。また、高価格と人気を反映して、日本ではランドクルーザー100だけを狙った窃盗団による窃盗の被害が90年代後半~2000年代中盤にかけて多発した。
フロント独立懸架化によって高いオンロード性能を手に入れた100系ではあったが、相変わらず過酷な状況での耐久性や悪路走破性、積載性など80系で好評だったワークホースとしての性能が求められ、コルゲーテッドロード()と呼ばれる洗濯板状の未舗装路を多く持つオーストラリアなど一部の国からの強い要望で、実績のない前輪独立懸架に対する担保としてボディは100系としながら、エンジンや駆動系などのシャーシーは80系を踏襲、足回りは前後リジッド式コイルを採用した「105型」と呼ばれる特殊な海外専用仕様が設定されている。
主に国連やオーストラリア向けとして輸出され、エンジンは80系と同じ4.5リッター直6ガソリン1FZ-FE型と4.2リッター直6ディーゼル1HZ型のみの設定である。また、ガソリンエンジンには5MTも存在する。内装は国内仕様にはないベンチシート、ビニールフロアの簡素装備なスタンダードグレードの他、装備を充実させた「GXL」グレードも用意されていた。
オーストラリア向けは、70系トゥループキャリアー同様、予備の燃料タンクを持ち(合計180L)、インパネに追加燃料計とメインタンクへ汲み出すポンプ用スイッチを装備する。
オーストラリアでは大変な人気を獲得し、キャンピングカーや作業車のベース車両として活躍。少数ながら日本に逆輸入された固体も存在する。
200系は歴代のランドクルーザーを意識させるデザインであり、これまでのランドクルーザーの走破性はそのままにさらに豪華な内外装が与えられている点が特徴で、国内価格も400万円を大きく上回る。国内での目標月間販売台数は700台と発表されている。2008年(平成20年)には100カ国以上で販売され、グローバルな目標年間販売台数は10万台と発表されている。
グレードはZX(2009年〈平成21年〉4月に追加)、AX Gセレクション、AX、GX(2010年〈平成22年〉7月追加)がラインアップされている。
駆動力は、デフロック機構を有するトルセン式センターデファレンシャルギアにより、解放状態の時は、前後40:60で配分されるが、路面状態や走行状態に応じて、前後30:70~50:50の間で変動する。
トランスファーは、サイレントチェーンを用いる駆動方式で、ギア比はH4選択時に1.000、L4選択時に2.618となる。
その高い走破性と耐久性を買われ、1979年の第1回パリ=ダカールラリーには25台ものランドクルーザーが参戦するなど、古くからラリーレイドに参戦するプライベーターに愛用されてきた。1995年にはトヨタの子会社であったアラコが「トヨタ・チーム・アラコ (TTAR)」を組織して、パリ=ダカールラリーの市販車無改造部門にワークス参戦を開始。2004年にアラコの車体部門はトヨタ車体に吸収合併されたが、「チームランドクルーザー (TLC)」と名を変えて参戦を継続している。同活動は1995年から2020年現在までの25回の開催中、6連覇と7連覇を含む合計20回のクラス優勝を手にしている。また、2002年には総合でも9位に入る活躍を見せた。同部門ではライバルであった日産・テラノと三菱・パジェロを一掃し、現在プライベーター含め殆どのエントラントがランドクルーザーまたはランドクルーザープラドを採用している。
また、2007年からチームランドクルーザーは廃油を精製したバイオディーゼルを燃料に用い始め、2012年には100%バイオディーゼルの燃料でダカール9,000kmを走破することに成功した。この取り組みは2018年現在もバイオディーゼル100%のまま続いている。2020年にはAT(オートマチックトランスミッション)を採用して挑戦した。
2009年にはベルギーのプライベーターが、フィッシュ・アンド・チップスの屋台車仕様のHJZ79型ランドクルーザーで参戦。第1ステージが終了した後、実際にフィッシュ・アンド・チップスが調理され人々に振る舞われた。その後も無事に走り続け、総合58位で完走しきった。